2016年8月25日
西日本を中心に、今年も猛暑に悩まされました。けれども暦のうえでは、もう秋になっています。
日の出と日の入りが早くなり、朝晩はすこし空気が澄んできたように感じられますが、いかがでしょうか?
とはいえ、まだまだ日中の紫外線も強く、夜になってからも汗ばむ日が多いですよね。そんなときにも、窓から入ってくる風がさわやかなら、おだやかな気持ちになれます。
眼には見えない風ですが、耳をすまして意識をすると、時間や空間に奥行きが出るのがわかるものです。
そこで今回は、【風】をうたった現代短歌作品を紹介しましょう!
「熱帯夜とぎれて風の吹きわたり若きらはみなバスを待ちゐる」花山多佳子『木立ダリア』
寝苦しいほどの暑い夜があけて、出勤や通学のためにバスを待っている人々を描写しています。
詠われている場面は朝ですが、昨夜の暑さを思い出させる言葉を入れることにより、朝に吹く風の気持ちよさが強調されました。
「風の朝リスのむくろが坂道にありぬどきもをぬく寂けさに」小島熱子「短歌人」2016年1月号
歌壇では、さびしい・かなしいという直接的な言葉を使うと減点されます。
さびしいという日本語を使わず、さびしさをかもし出し、かなしいといわずして、かなしさを読者にわかってもらう高い手腕が欲求されます。
そこで小島は、作中にリスの死骸を詠みこみ、静かな秋の風景に吹く風の冷たさ・さみしさを強調しました。パッションとモチベーションが両立している好感が持てる短歌だといえるでしょう。
「颱風に電車とまりてそれよりは見知らぬ人らと夜をさまよふ」花山多佳子『木立ダリア』
夏の終わりから、秋のはじめにかけて日本列島を何度も台風が縦断します。
暴風域に入ると、交通手段がストップして生活に支障が出てしまうことも。
しかしそんな非日常の場面だからこそ、ふだんならすれ違うだけの人を意識したり、自分以外の他者の存在を強く感じるものなのかもしれません。
台風による強風と、駅でさまよう作者と、〈見知らぬ人〉の姿に、流れてゆく時間と風を感じる1首ですよね。
「台風に枝を?がれし楠に幻肢の痛み兆しておらむ」竹之内信一郎「歌壇」2016年8月号
幻肢というのは、手足を切断された人が、本来なら決してないはずの手や足の感覚をなまなましく感じている現象のこと。
大嵐により、枝がもげてしまった楠の痛々しい様子を〈幻肢〉と表現して、凄みがある作品に仕上がりました。
「キンモクセイの香は唐突で、我が喉秋の薬を打たれたような」早川志織『クルミの中』
風によって匂いは、運ばれていきます。香を動かす空気を〈風〉といい換えることも可能だとおもいます。
提出歌は、どこにも風という文字は出てきませんが、ほのかなキンモクセイの香に風を連想させられました。
とつぜん、予期せぬ芳香が漂ってきて、そのときの様子を、〈喉の薬を打たれたような〉とつなげています。
鼻と喉はつながっているので、人体のメカニズムを生かして、五感に訴えかけることができる短歌になりました。
まだまだ残暑がきびしい日が続きますが、室内にいながらにして、【風】の心地よさを感じる短歌作品にふれて、ぜひ、初秋を体感してみませんか?