2016年7月6日
梅雨があけると、いよいよ夏本番!
日焼けや熱中症、虫刺されなど、たいへんなことの多い夏ですが、刺激的で、空や木々があざやかで、絵になる季節だとおもいませんか?
そんな、強く美しい夏を浮き彫りにする、〈ひまわり〉と〈恋〉を、モチーフにした現代短歌を紹介しましょう!
「渡欧してファン・ゴッホ作「ひまはり」の細部を視姦したる、茂吉」 佐藤通雅『強霜』
ひまわり(向日葵)は、歴史的仮名遣いで書くと、〈ひまはり〉と表記します。
美術に精通していなくても、ゴッホの「ひまわり」を知らない人は、少ないのではないでしょうか?
このうたの作者は、ゴッホ作品の毛羽立つような独特のタッチを、細部まで眺めてる人を見て、斎藤茂吉を連想したのでしょうか。
もしくは茂吉なら、舐めまわすように、あの油絵を観察するだろうと想像していたのかもしれません。
観賞ではなく視姦と、強いことばを選んだことで、粘着気質の茂吉の人間性まで伝わってきます。
「住民票除票のなかに母の名もあり ひまはりの季節がまた来」永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』
季節がめぐるたびに、喪失感が薄れるのではなく、むしろあの夏と同じ、ひまわりが咲き、なお、いっそう哀しみが深まります。
忘れかけていた記憶と、季節感を結びつける、美しくも哀しい1首。
「ひまわりの毛深き茎をのぼりゆくひとつひとつが完全な蟻』吉川宏志『海雨』
ひまわりといえば、黄金の花びらや、太陽に向かって力強く咲くイメージばかり強調されますよね。
ところが吉川宏志は、花ではなく茎に注目しました。ざらざらとした質感、そして、その茎をよじのぼる小さな蟻たちが、一匹ずつ完璧な姿であるのを発見したのです。
進化論からすれば昆虫は、ワンシーズンで使い捨ての個体。ですが、食べて寝て、恋をして子孫をつなげていく、ヒトとかわらない生き物だということがわかります。
このように、他者が気がつきにくい小さな発見は、短歌実作では、大きな傑作につながります。
「窓辺にはくちづけのとき外したる眼鏡がありて透ける夏空」吉川宏志『青蝉』
映画の1シーンのような鮮烈な作品。
心情ではなく、はずした眼鏡に映る風景を描写することで、恋の行方を暗示しています。
「君の眼に見られいるとき私はこまかき水の粒子に還る」 安藤美保『水の粒子』
好きな人に見つめられていると、自分自身の身体も心も、水しぶきになって溶けてしまいそう・・・。
そんな、ういういしい恋愛感情を詠みこみました。
しかし安藤美保は、1991年に大学院の研修旅行中に事故で亡くなってしまいます。24歳の夏でした。のちに出版された遺歌集『水の粒子』は、20年以上すぎた今でも人気をあつめています。
「きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり」永田和宏『メビウス地平』
恋をすると、見える景色や食べ物の味が、これまでと変わったように感じられるときがあります。
彼女に出会う前の自分を見つめるために、バスに揺られて海に行く。そんなセンチメンタルな感覚さえも愛おしくおもえるのは、恋愛初期の醍醐味だといえるでしょう。
きみには「逢う」という字を当てていますが、過去のぼくには「遭う」を使用しているのが印象的です。
「一日過ぎれば一日減ってゆく君との時間もうすぐ夏至だ」永田和宏『もうすぐ夏至だ』
おなじ作者の作品をもう1首紹介します。
無事に恋愛はみのり、歳月が経過しました。けれども最愛の妻は、乳がんで余命わずかと宣告されす。
1年で1番日がながい〈夏至〉が近づくというだけの歌意ですが、せつなくて、胸に響く作品ですよね。