2016年6月8日
2016年ことしも、いよいよ梅雨に入りました。
湿気が多くなるこの時期は、髪がふくらみ、肌がべたつき、眠たくなったり、けだるくなりやすい、憂鬱な季節。
ですが、しっとり落ち着いた空の色や、雨の街角には風情があります。
雨の日が続くと、気持ちが沈みがちになります、
が、その一方で、雨は、歌謡曲にうたわれたり、文学のテーマになりました。
今回は、〈梅雨〉や、〈雨〉〈あじさい〉をモチーフにした現代短歌を紹介します。
短歌ときくと、難しいイメージがありますか?
学生時代に、国語の教科書でおなじみの、〈百人一首〉や〈万葉集〉をおもいうかべるかもしれません。
あるいは、「季語が入るのかな?」
「決まりごとが多そうだからパス」。
そんな声も聞こえてきそうです。
ところが、長編小説を読むよりも、ずっと気軽。
5・7・5・7・7たった31音で完結する短歌は、ことばのショートショートであり、1行のポエムなのですから。
「梅雨に入りしその日駄洒落ハピバスデイ梅雨(ツーユー)と言ふ窓に向かいて」菊池孝彦『彼の麦束』
短歌は、生真面目な印象が強いものですが、どうでしょうか?
ここにうたわれているのは、どうみても駄洒落・・・。
そして、梅雨入りのジメジメとした、陰湿な雰囲気を吹き飛ばすような、あっけらかんとした、開放的な作品です。
「なめくぢは水分多き身体もて窓ガラスのうへに履歴を残す」菊池孝彦『彼の麦束』
なめくじは、歴史的かなづかいでは、なめくぢと書きます。
水分の多いなめくじが、ガラスに這う様子を、履歴を残すと表現しています。
履歴というと、スマホを連想します。
古典のエッセンスと、現代がうまく組み合わされていますよね。
「あじさいに君の言葉を教えたり雨待ちながら歩む水の辺」江戸雪『椿夜』
作者は、ふと見かけたあじさいに、話しかけたくなったのでしょうか。
しっとりとしたあじさいの風情に、恋をする女性の心を投影させた、美しい1首。
「あぢさゐの花の迷路に分け入りて母をさがしてゐる青い虫」馬場あき子『記憶の森の時間』
あじさいは、小さな花弁があつまって、大きな花になっています。
それは、迷路に似ているのかもしれません。
また、青い虫が這う姿を、「母をさがしている」と、感じる作者のまなざしには、小さな生命をいつくしむ、やさしさが感じられます。
「わがうちの銀砂こぼるるひそけさよあぢさゐ咲ける夕道ゆけば」高野公彦『流木』
作者は、夕方の道を歩いて、自然の美しさに感動しました。
それを、自分の内側に銀砂がこぼれるようだとうたっています。
心情と、風景が溶け合う奥行きがある短歌ですよね。
「傘の穴洩れて零れる雨粒が今ゆっくりと頬つたいおり」鳥居『キリンの子』
やぶれた傘からしたたるしずくが、顔に落ちました。
何ともいえない、みじめな気持ち。
どうすることもできない現実を前に、くちびるを噛みしめている作者の顔が、おもいうかびました。
「いくら書いても消せない記憶の日があるの雨にも陽にもかがやきながら」江戸雪『椿夜』
忘れられないできごと。
印象的な記憶は、影絵のようなものかもしれません。
雨にも、陽にもかがやいている記憶は、きっと深い陰翳に包まれているのでしょう。
コメディータッチの短歌・やさしいまなざしのうた・揺れ動く心情を表現した作品。
31音のドラマには、天文学的なほど、バリエーションゆたかに展開していきます。
現代短歌の宇宙を旅してみまぜんか?