2016年10月2日
季節は秋。
秋は、夏と冬をつなぐ短いひとときのようにおもえます。が、過ごしやすく、食べ物がおいしく、お肌のコンディションも上向いてくる嬉しい時期です。
秋をモチーフにした短歌は、ロマンティックなうたや、哀愁のある作品が多く見受けられます。その中から、樹木や木の実をうたった名歌をピックアップしました。
「珊瑚樹のとびきり紅き秋なりきほんたうによいかと問はれてゐたり」今野寿美『世紀末の桃』
美しく色づく珊瑚樹の下。
というシュチュエーションは、何ともいえず絵になる光景ですよね。でもそれだけではありません。実はこのうたは、プロポーズされている場面を詠んだ作品なのです。
「はい」と答えると、恋人は「ほんとうにいいの?」と訊きかえしてきました。ほほえましいような、くすぐったいような幸せが伝わってきます。
そのお相手は、歌人の三枝昴之さんですが、30年のときを経てこんな返歌をおくりました。「珊瑚樹がとびきり赤き秋ありきこの世に二人が知る赤さなり」。
くれないの珊瑚樹の背景に、とびきりのドラマは今も続いていることでしょう。
「金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いてふ)ちるなり夕日の岡に」与謝野晶子『恋衣』
銀杏の葉は、小鳥のかたちに似ているという、ささやかな〈発見〉をうたっています。
作者は、国語の教科書でおなじみの与謝野晶子。
大胆な恋愛と、ナルシシズムを表現して、戦前のアタマの堅いオジサマたちをあっといわせた晶子ですが、この作品は、驚くほど素直で、肩に力が入っていません。
「近づけどずっと向こうへ道はのびどんぐりの実がころがりいたり」山崎方代『こんなもんじゃ』
子どもの頃には、よく拾ったどんぐりですが、おとなになると、「ああ、そんなものもあったなあ」と、思い出すことさえ少なくなりました。
ところが、久しぶりにどんぐりを見つけて近づくと、なぜか、ころころところがって、うまく手でつかめません。
たしかに視界に入っていて、手をのばすとすぐにでもつかめそうなのに、どうしてもつかめない。
そんな、もどかしい心境は、自分の人生を見ているようで悔しくなってきます。
わかりやすい1首ですが、「ずっと向こうへ道がのび」という表現により、奥行きが生まれ、単なるセンチメンタルな心情を吐露するだけではない、観賞に耐えられる文芸作品になりました。
「はじけたる無花果の実を食べておる顔いっぱいがキリスト様だ」山崎方代『こんなもんじゃ』
上とおなじ作者の作品をもう1首紹介します。
無花果は、エロティックな要素の強い果物かもしれません。
第1に、あの独特なフォルム。そして汁のことを乳と呼び、乳がつくと手や口のまわりが痛痒くなること。
きわめつけは、禁断の果実を食べたアダムとイヴが、局部を無花果の葉で隠したことなど・・・・・・。
しかし提出歌は、コメディーといっても過言ではありません。
無花果を頬ばる姿は、顔いっぱいがキリストなのですから!
官能よりも食欲。あっぱれな短歌です。
ちなみに、方代(ほうだい)とは、変わった名前ですが、筆名ではなく本名です。
彼は8人兄弟の末っ子として生まれますが、相次いで子どもを亡くした両親が「生き方代・死に方代」という意味をこめて、方代と名付けたといわれています。
このエピソードも、あっぱれです。方代さん!